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    【く】ククールスの果実【つ】

     たしかあれは、旧式のストーブを売り払った頃のことだ。俺の元へ一通の手紙が届いた。ぼやけた足音が掻き立てるあの焦燥感に似た山吹色の封筒には、「昨日のような今日は、明日のあなたを脅かす」と書かれた便箋と、白味がかった砂粒がぎっしり入っていた。その時俺が何を思ったか今では思い出せないが、おそらく何か感じ入るものがあったのだろう。俺はその手紙を保管していた――そして、いつの間にかその存在を忘れてしまっていた。
     それが先日、押入れを整理していた折に出てきた。今思えば、それは啓示のようなものだったかもしれない。えもいわれぬ懐かしさに襲われ、便箋を眺めながら砂を掌で玩んでいると、耳の奥に波濤の打ち付ける音が充満していくのを感じた。
     ――そうか、この砂は海のものであったか。そんなことを考えながら、しかし波濤が打ち付ける程の激しい海に、果たして砂浜などあるのであろうか、と疑問が湧く。同時に、何としてもこの砂の在処へ行かねばならぬという激しい衝動に駆られた。それは余りに激しい衝動であった為、俺は日常の全てを放棄し、手紙を片手に、一切れのパンとナイフ、ランプを鞄へ詰め込んで家を飛び出した。そして行く先もわからずに、ただ足の動くまま心の向かうまま、熱に浮かされて転がるように歩いた。
     ――この旅は罰のような旅になる。歩きながらそんな予感が脳裏をよぎる。だが、何の罪に対する罰であろうか?
     心臓が早鐘を打つ。そのリズムは常ならぬ儀式に陶酔する異国の人々の貪婪な表情をを思い起こさせる。野蛮な力が充満し、街路樹がその身の内に青白い光を溜め込んでいく――それでも木々は慎み深い、休むということをよく知っている。木々を狂わせるのは、刺激的な光を放つ最新型のよく出来た街灯たちだ。あの恐るべき光はやがて、木々でさえ歩かせてしまうだろう。
     俺は節操なく歩き続けた。だらしなく腕を振り、やがてへとへとになった。俺は愚かだから、街灯に狂わされずとも勝手に歩いてしまう――明日を飛び越え、明後日の方向へ――どこにあるかも定かではない、謎の海辺を目指して。
     やがて街は消え去り、道はうつろになり、大地が臓腑を曝け出したかのような森が現れる。森は暗く、そして深い。俺はこの森へ分け入らねばならぬ。なんとなれば道は一本きりだし、象徴的見地から考えてもそれは正しいからだ――つまり俺は今一篇のメルヒェンに属している、おそらく。
     ニワトコの茂みが俺に爪を立てて問を発する。俺はそれに両足で応える。妖しげな呻きが頭上を漂う――水笛を吹くような、蔦に絡まった、絹を裂くような、無数の呻き。そして、その間を縫って交わされる木々の会話と理解を絶する耳鳴り。
     鼻が質量のある湿気を嗅ぎつけ、ありとあらゆる葉が拍子を打ち始める。雨だ。――くそ、雨具を持ってきていなかった、これじゃ濡れ鼠だぞ。
     森の覆いを貫き無数の矢となった雨は、氷より冷たく、俺を突き刺し、体力を容赦なく奪いにかかる。濁流のように嘲笑い、俺を蝕んでいく。視線が宙をさまよう。その視界はぼやけている。上下の歯がカチカチと小刻みに激しく打ち合わされ、凍えた火花を撒き散らす。――耳元で何かを告げる風――音楽――どこからか流れてくるざわめき……。
     突然視界が開け、小屋が現れた。

     小屋の中は暖かく、俺の冷えて縮こまった身体をスチームアイロンのように伸ばしてくれた。小奇麗な身なりの女が出てきて俺の手を取り――彼女の手は青白く透きとおって幽霊のように不確かだ――そのまま小屋の奥へと導く。暖気によって身体と共に精神まで弛緩させられた俺は、何だかよくわからぬままその導きに身を委ね、夢のような足取りで奥へ奥へと迷い込む。
     そこではこの世のありとあらゆる馬鹿げた思いつきを寄せ集めたような乱痴気騒ぎが繰り広げられていて、その非現実的なさまが俺のわずかに残った思考力まで根こそぎ奪い去る――俺は抜け殻だ、藁でできた案山子だ、ベルトコンベアーの上で暮らす未来を忘れた期間工だ――牡牛に群がる女たち、空を引き裂き破裂する鞭、緑色の幻覚を口元から垂らした中年男、膨張する鶏、嬌声、嬌声、嬌声!
     俺は室内の奥まった位置にしつらえられた席へ座らされる。幽霊の手の女はどこかへ去っていった。眼前の丸テーブルには零れ落ちそうな食べ物と飲み物――湯気を立て、グラついて、色が悪い、胃袋の友。その中央に一輪挿しの――惰眠を貪り、微笑みを貼り付け、吐瀉物を引っ掛けられた――古びた造花。向いの席では草臥れた風貌の男が、ブツブツと何かを呟いている。――花に話しかけているのだ、焦点の定まらない目で、呼吸を忘れた肺で。その言葉は俺の耳から脳髄へと流し込まれる。自動的に、散文的に――
     「………だろう。なあ、花よ、お前はまるで酒瓶 に突き刺さった悪趣味な××人形だな。瓶を床に叩きつけてごらんよ、瓶は無数の翼になってキラキラと飛んで再び墜落するんだ。哀れなイカロスだよ。だが人形は飛ばない、いや飛べない。きっと瓶以上に意志薄弱なんだろうよ、床の上にだらしなく身体を投げ出すだけなんだ。運命の牢獄へ放り込まれたマヌケのように、恐ろしい気流に巻き込まれて制動を失った気球の乗員のように、思春期の小娘のように、口をパクパクさせて空虚を生み出すんだ。なぜってそいつは受動的なんだ、お人形さんよ、受動的なんだよ。なので感覚があるならそれは感受性と呼べるだろうよ、文字通り、受動的な、受け取るだけの、一方通行の感覚だよ。一方通行に、溜めこむ一方の、いや、溜めこんだやつが時々溢れ出たりもするが……。人形は言葉を持たないから本当のことは何も伝えられないんだよ、溜めこんだやつが溢れ出るに任せるしかない、まるで鸚鵡だ、哀れなエコーだ、言葉がないんだ、辞書には不可能以外の文字も記されていないんだよ、ただ繰り返すんだ、溜めこんだものが溢れ出すとき一緒にな。そして正体を失ってしまう。影が膨らんで、次第に取って代わられてしまうんだよ。なあ、花よ、お前は悪趣味な××を対価に、退化の道をひた走るんだよ、朗らかに笑い、怠惰に寝そべるんだ……。そこに詩はない! 神秘もない! 色彩もない! あるのは平均的な組成の空気、埃を含んだ大気、弛緩した平服のような外気、そしてそれを頭にまで詰め込んでパンパンになった人形の身体だ。おまけにゲロまみれ。それでも花であることをやめることは許されない。なぜならお前は花として生まれたからだ。それも、よりにもよって造花に! 枯れることさえ許されない造花にな! ああ悲しき花よ、悲しき、悲しみの……、だが、その種の悲しみには意味がない。悲しみは、悲しむべき価値のあるものだけが持つ特権だからな。本物の悲しみの奥には、自由に似た予感があるんだ。星座の位置すら狂わせる眩い光源がある。そしてその光源の先、そう、光の源のさらに先、輝きの河の源泉から光が湧き出る辺りよりも、さらに先へ進んだところに存在する原初の闇は、他のありとあらゆる本物の光源がその根源に持つ闇と同じ種類のもので、その中では一人の胎児が眠っているんだ。その胎児の見る夢こそが、あの人類共同の墓地であり、本当の純粋な法則であり、全ての事物の根源なんだよ。なあ花よ、お前はどうだ? そんなにゲロまみれで、薄汚れて、昔はさぞかし美しかったんだろうなあ、造りもんだっていっても花は花だからな。お前はどこで作られてどこで買われたんだい? 花として生まれたのに、美しくないものになるってのはどんな気分なんだい? お前の花瓶はプラトンの洞窟だね。そしてお前はその中の人足だ。お前はその中で揺れる影を見………」
     彼は話し続ける――牛の死を嘆く、狂った闘牛場の観客のように――きっと永遠に話し続けるだろう。彼の死後も言葉は漂い続けるだろう。言葉だけになっても話すのを止めないだろう。この男は憑りつかれている。それは焼け爛れたカルマだ――そのカルマは、花にも、花の刺さった瓶にも、丸テーブルや、その上の零れんばかりの食べ物、飲み物にも宿っている。
     炸裂する乱痴気騒ぎの騒音と酸っぱくなった油の匂いが俺の胸を悪くする。カルマとは一つの匂いだ。破滅的な牢獄の匂いだ。伝染し、増殖する匂いだ。その匂いはどこからか漂ってきて、服に付く、髪に付く、皮膚にも、爪の先にも。そして時には人を殺す――あるいは殺されたも同然にする。もしその匂いを嗅いだら、すぐにその場を去ることだ。でないと清浄な空気の中にいても、その匂いに悩まされ続けることになる。それどころか自身がカルマの発生源になる。わずかな残り香であってすら、カルマは人を追い詰める。
     だから俺はそのカルマに引導を渡す。俺には俺のカルマがある。これ以上背負い込むのはごめんだ。俺は怪物になりたい訳じゃないのだ。それに、行く場所が、いや、行きたい場所があるのだ。
     そして俺は立ち上がる。食べ物にも飲み物にも一切手を触れてなかった。空っぽの腹に、この身体は重い。だがこの小屋のものに手を触れる気にはならない。というのも、この小屋によって奪われてしまった俺の思考の向こうで、「触れるな」と言っている奴がいるのだ――それは見覚えのある顔をした奴だった、マヌケ面で、悲しげで、一言多いが、親身な様子の奴だった。
     とまれ、俺は踵を返す。この小屋から出るために。もはやこの小屋には一瞬たりとも居たくなかった。それはカルマの匂いのせいだけではない。この小屋ときたら、床は腐ってぶよぶよしているし、天井では幽霊が木霊と戯れている。台の上では背中に蛇や百足を背負った花売りの女たちが魅力を振りまき、服の裾を翻し、その爛れた骨を見せつけている。五体を酒瓶にした怪物が笑い、誰も彼もがそれに口づけ、力を手にいれる――それらは刺激的な遊びだ――倒立した夢、まやかしの力――そしてその手のまやかしの力は極めて減衰しやすい。倒立した夢は一つの映画だ。この小屋に備え付けられたスクリーンの前では、皆がそれを貪るように観ている。時々思い出したように、本物の夢の批評が始まる。本物の夢は批評され、評価を定められ、値札を貼られ、空き箱へと片付けられる。空き箱は月光のようなものを密造する暗い部屋へ運ばれ、機械にかけられ、火を噴く絶望的な液体になり、酒瓶の怪物を満たす。そしてまやかしの力はますます増強され、スクリーンの向うで俳優になってウィンクする。
     ――全てが馬鹿げている!

     小屋を出て、来た時とは別の道へ――雨は上がっていて、絹のように繊細な靄が低く垂れこめながらその領土を密やかに拡大している――道は広く、広すぎて、もはやほとんど無限の広がりを持ち、つまりは存在しないも同然だった。それは詩的な平原、靄のかかった野原だった。点在する灌木や奇妙な形の高木が暗いエメラルドの影となり、世界に奥行があることを示している。
     俺は靴を混乱させる泥を避けながら、ゆっくりとランプに火を灯す。大気を紫に焦がす光の向こうにサンザシやリンゴの木が浮かびあがる。光と、光によって彫刻された影が一緒になって揺らめき、不安定な夢を――ちぐはぐな未来の渦、行方不明の幻想の洪水、遠くこだまする叫び声、謎めいた予感たち――ありとあらゆる曖昧な神秘を運んでくる。そしてそれらはぼんやりと、輪郭を巧みに隠しながら、しかしゆっくりと、ある方角を指し示す。
     それは一つの確信だ。馬鹿げた道標だ。俺をこの旅へと駆り立てた衝動の、その行きつく先を予言した、想像を絶する、驚くべき羅針盤だ。
     ――丘だ、丘へと向かうのだ! 野原を越えろ! そしてその先、丘の上、その向こうに広がる海を見るのだ!
     乱れた星座の中で困惑する北極星を穿って、羅針盤の咆哮が耳をつんざく。野原、丘、海、――そうだ、海だ! 俺は海辺を目指していたのだ!
     この野原を越えれば丘があり、その向こうには海がある。根拠は一つもないが、俺の羅針盤がそう告げている。ならばとるべき道は一つだ。実際、丘は靄のかかった野原の向こうから、その姿をわずかにのぞかせているように思われる。
     そして眼前の野原が、まだ見ぬ景色を予言するように、深く陰った緑の海へと姿を変え――俺はというと一艘の帆掛け船、頬をなでる夜気に帆を膨らませて勢いよく滑っていくどうしようもないボロ船だ――その海原に立ち込める乳白色の靄は異人の愛したあの雲だ。そして雲は同時に空の島々でもあり、夜には天上の支えきれないほどの星々を押しやり、零れ落ちさせ、灯台へと変える驚異の名匠でもある。
     波うち飛び散り砕ける草が、灌木が、高木が、靄が、光が、影が、飛沫となって人間には理解できない言語で歌う――それは決して翻訳できない詩だ、ただ感じとり、表現の彼方でしか知ること能わない巨大な概念だ。丘には神秘が宿っている。丘は野原の向こうで夢に染まって、銀河をその身に突き刺し、月と太陽を纏い、本物の海を、砂の浜辺を掻き抱いて佇んでいる。――これは確信だ。羅針盤の神託だ。俺は野原を疾駆する。無数の輝きが幾筋もの光彩を描き明滅する。棚引く光線が、閃光が、風を切って音楽になる。
     そして、ピンク色の朝露が夜の境界線を徐々に洗い流し始めたころ、俺は丘の頂上に立っていた。
     
     果たして、俺の目の前には海があった。潮のヴェールが複雑な模様を描き、音を立てて、美しく燐光を放つ。寄せては返す驚くべき織布――それは焼け落ちた夜の余韻を含んだ白い砂浜を、柔らかく撫でる常軌を逸した愛の織布だ。風が海の、微細な結晶のような香りを運んでくる。
     振り返ると遠くにあの小屋が見えた。靄の向こう、朝の光の中で赤い影を浮かび上がらせていた。それは半壊した薔薇のように野原の上で寝そべっていた。
     ――突然ある光景が思い出された。それはつい昨日のような、あるいは三十世紀も前のような、とにかく遠近感の狂った幻想で、ハシバミ色になったり琥珀色になったりしながら、くるくると頭上を旋回した。そこには船があった、ガラスの箱舟だ。そこへ不恰好な悪魔のような、夜に潜り込んだ馬鹿者のような、痩せこけた、薄らとした笑みを浮かべ、そのくせ悲しげな、唇に煙草を貼り付けた男が、せっせと果実を運び込んでいた――果実は実に鮮やかだ、鮮やかに輝く果実、それは多分、夢の果実だ。やがて箱舟は出航する。そして浪間を滑り、夜空を渡る。きっとどこまでも渡る。誰の手も届かぬ宇宙の果てまででも。満載した夢の果実と共に渡って行く。
     俺は涙を流した。突然去来した幻想。それはこの旅で唯一の真実のように思われた。そして俺は見失っていたのだ、どこか愛らしくも悲しい姿をしたこの真実を。驢馬のように耳を動かし、湿った鉛を口から零し、目には氷の破片を入れて見失っていたのだ。
     これこそが啓示だった。おそらく俺は旅に出る必要などなかった。旅に出ずとも、既に旅に値するものはそこいら中に在った。あのどうしようもない衝動――耳の奥に充満した波濤の打ち付ける音は、あくまで耳の奥だけのものだったのだ。
     罰のような旅――俺が罰を受けるに値する罪を負っているとするなら、それはこの「見失った」という一点にあるのだろう。
     そう思うと、にわかにあの男――あの小屋で見た、草臥れた、造花に話し続けていた哀れな男――あいつのことがわかった気がした。もし、造花に口があって、足があって、心があったなら、きっとあの男は造花と会話し、連れ立って歩き、陽だまりの中で互いに見つめ合い微笑みを交わそうとするだろう。だが、あの男は今も――おそらくはこれからも――あの小屋の中で独白を続け、立ち上がることなく、孤独なのだ。
     なら俺は? 俺には口も足も、それに(多分)心もある。俺は独白をし続け――君が今読んでいるのがそれだ――馬鹿みたいに歩き、朝焼けの中で海を見つめている。

     しばらくしてから俺は、丘を下り、波と戯れている砂の浜辺へ歩みを進め、山吹色の封筒から半分だけ掻き出した砂を白い大地へと戻した。そして代わりに、同じ砂地から掬い上げた、輝く夢の一掴みを封筒に詰めて混ぜ合わせた。
     ――家に帰ったらこの砂を鉢に移して何か種を撒こう。陽に当てて、水をやって、窓辺でそっと育てよう。
     そいつはやがて芽吹き、育ち、鮮やかな実をつけるかもしれない。茫洋たる未来をその内に孕んで、どこかいい匂いのする謎めいた予感と共に。あるいは未知の領域で明滅している新たなパンドラの箱のように。
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